ココロとカラダ 笛元気♪ フルート奏者・アレクサンダーテクニーク教師(仮免許)岡本元輝のブログ

演奏に役立つカラダの使い方・ココロの使い方について書いてます

やりたいことを義務化して取り組むと苦しくなる


こんにちは!

フルート吹きのげんきです。

 


義務と聞いてみなさんはどんな言葉が浮かびますか??

 

 

 

~しなければ

~せねば

~しなきゃダメ

 


こんな言葉が僕は思い浮かびます。

 


僕にとってこの言葉たちが音楽をすること、フルートを吹くことを苦しくしています。

とくに「表現するということ」に関してものすごく苦しくなります。

 

 

 

ボディチャンスで勉強している仲間と話している時に、ぼくが授業の中でレッスンを受けている姿をみて「すごく縛られている印象がある」と言ってくれました。

 


「そんなことないですよー」って昔は言っていたと思うんですが、ものすごく納得する自分がいました。

 


苦しい縛りを生み出しているのは「自分自身」だということ。

 


そこを認めることが最初の一歩だと思いました。

 

 

 

 


嶋村順子先生の授業で演奏を聴いてもらいました。

順子さんは同じフルート奏者でアレクサンダーテクニーク教師です。

 


順子さんはぼくに「あえて表現しようとするのをやめて、ただアレクサンダーテクニークを使って吹いてみたらどうなるかやってみて?」と提案しました。

 


※アレクサンダーテクニークを使うことについては別の記事にまとめますね!!

 

 

 

その提案を受けて演奏したぼくの感想は

「ただ吹いただけで、何にも表現できた感じがしない。」と言いました。

 


ですが、順子さんをはじめとする他の方たちはこっちの演奏の方が良いと言う。

さっきよりもよっぽどモーツァルトらしい演奏だったと順子さんは言いました。

 


ぼくはこの言葉を素直に受け取ることが出来ませんでした。

 


自分の中で表現している、音楽している感覚がなかったから。

 


この感覚の違いというのはとても不思議で、そして表現するってなんだろうと考えるきっかけなりました。

 

 

 

ぼくは

 


~しなきゃ

~せねば

~しなければダメ

 


こういった言葉にものすごく縛られていたことに改めて気がつきました。

 

 

 

色々なやり方を考えて試していく過程の中で、1つのやり方を選んだら、選んだやり方を義務として捉えている自分がいました。

 


それが出来ていない自分はダメ。 

失敗するとかありえない。

 


そう自分に言っていたんです。

 

 

 

自分で自分の演奏を否定することが日常になっていました。

 


だから練習が嫌いなんです。

たくさん吹いているとどんどん自分の演奏が嫌いになっていくから。

 

 

 

いつからそんな風になったのかなって考えました。

 


この時代の作品こう演奏しなければ。

この作曲家の作品はこうあるべき。

ここはこうやって表現しなければ。

 


こういったお話を高校生、大学生の時にたくさん聞いたからかもしれない。そう思いました。

 


もちろん音楽家とっても大切なことだと思うんです。

勉強にもなったし、役にも立った。

今も心の中にあります。

 


でも自分の音楽を表現するということにこれらが縛りを与え、苦しめていたのかもしれません。

 

 

 

ただぼくの受け取り方が少し違う方向にいってしまっただけなんです。

 

 

 

そう思うと少しココロのモヤが晴れた気持ちになりました。

 

 

 

音楽の時代様式、スタイルも大切ですが、その中で自分がどうやって演奏したいのかをもっと大事にしたいって思いました。

その演奏したい、表現は既に自分の中にあるということも認めることも大切だと思うんです。

 


そこを否定してしまうと、自分の音楽を否定してしまうから。

 


こういったことを乗り越えた先にはきっといいことが待っているんだろう。

 

ではまた